それだけでいいよ

 

時々「手越さん大丈夫かな」と思うことがある。
私がひねくれた人間だからかもしれないけど、まっすぐに素直に正直に生きることは大変じゃないのかな、と心配になることがある。
そんな真っ向から立ち向かわなくたって本当はいいはずなのに。頭のいい人だから、きっともっと楽に生きることができる術だってすぐ思いつくはずなのに。
それができる術もツールもきっとあの人の周りにはたくさんあるだろうに。

「批判でもなんでもどうぞ」という言葉を聞くたびに心配になる。ポジティブだから大丈夫だって本人は言うけれど、傷つかないわけじゃない。NEWSの盾でありたいというけれど、盾だって傷つかないわけじゃない。他人の傷を肩代わりしているだけで、盾自体はどんどんぼろぼろになっていく。

言いたくても言えないこと、アイドルにはきっと山ほどある。伝えたくても伝える場所も術もなかったり、ルール上言えなかったり。したいと思っていることとできることはイコールには決してならない。
でもファンは好きだと言いながらいろんなことを並べ立てる。「なんでもっと仕事増えないの」「なんでこうしてくれないの」「ああいう演出がよかった」「あの髪型やめてよ」自分勝手で、わがままで、どうしようもない。私も含めて。
自分の思う通りじゃなかったら「失望した」「裏切られた」そんな言葉であっさり背をむける。
でもそんなどうしようもない人達を「大切だよ」「大好きだよ」と言ってくれる。いつかえるかわからない手のひらをずっと握ろうとしてくれる。それはきっとすごく怖くて勇気のいることだ。

その勇気に報いるためには何ができるだろう。ぐるぐる考えて考えて、結局「すきだと言い続ける」以外にないんじゃないかと思った。あの人が、ステージにいる限り、好きだと言い続ける以外に、きっとない。

見える範囲の彼を、彼らを信じて愛していたい。
私にはそれで十分だ。彼らが見せてくれるもの、見せたいと思うものだけを見ていたい。
でもそうじゃない人も山ほどいて、そういう人は彼らが見せたくないものまでほじくり返して「現実をみろ」と自分勝手な正義を振りかざす。自分の色眼鏡を他人にまで強要する。見たくなくても目に入る。

何かを叩くことってそんなに楽しいのだろうか。
こういうことが起きるたびに「あの人たちは一体どういう心理で言っているんだろう」と思ってしまう。それだけ熱心に行えるのだからきっと行っている当人たちは楽しいのだろう、と思って考えてみた。
まぁそりゃ楽しいだろうな、と思った。
批判をして、そこにどんな快感があるのかってそれは賛同してくれる誰かがいるからだ。「私も思ってたけど言えなかった」「○○さんが言ってくれてすっきりした」そうしてどんどん肯定された自分勝手な正義は膨らんでいく。

Twitterが異様に発達している今だからそれはなおさらだ。いいね、RT、賛同者の数を明確に示してくれるものがある。数が増えるたびに感じる、自分が支持されている、私は間違ってない、あいつらが私を傷つけたから悪いんだ、裏切られた、信じてたのに、同じように思ってる人がこんなにいる、そんな万能感。

 そんな声に振り回された数カ月だった。正直、何度もアカウントを消してやろうかと思った。あのアカウントさえ消してしまえばアクションを起こさない限りは騒音が入ってくることはない。

ももういいや。そんなよくわからない声に振り回されるのは心底馬鹿馬鹿しい。何が現実だ、なにが事実だ。
私は自分の現実を信じる。NEWSが好きだということ、NEWSがファンを愛してくれるということ、それが私の現実だ。
誰がなんといおうとそれは揺らがない。お花畑?大いに結構。花を踏みつぶして歩くことに快感を覚える人より、それをめでる人でいたほうが何億倍も楽しい。

手越さんのことが好きです。幸せであってほしい。健やかに生きてほしい。あんまり傷つかないでほしい。
「心配なんていらないよ」とあなたは笑いそうだけど心配ぐらいさせてほしい。
そして何よりあなたが思うように生きてほしい。それが私の現実で、私の正義です。