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好きと感謝と担当論

こうしてブログを作る直前、担降り記事というものを目にすることがちょこちょこありました。
そもそも担降り、という発想にすら至ったことのなかった私にとってある意味ものすごく衝撃的でした。
その辺りから担当ってなんなんだろう、そんなに重いものなのだろうか、そんなことを延々と考えていました。
で、この前自分にとっての答えが出たのでまとめるためにこうして書いているわけです。多分楽しくもなんともない記事じゃないかな!


私にとって担当とは誰よりも強く「アイドルになってくれてありがとう」と伝えたい相手だと思います。
もし相手を目の前にして、まず一言目、何を言うのか。そう考えたときに自然とその言葉が真っ先にでてくる相手が私にとっての担当です。
「いつも見てます」とか「応援してます」などの言葉でもなく、シングルの感想でも番組の感想でもコンサートの感想でもない。
その道を選んでアイドルとして生きることを選んでくれた、その意思と決意に感謝がするりと出る人。
それが私にとっての堂本光一であり、手越祐也です。

ただ多分光一さんと手越さんだと、「ありがとう」の意味合いも少し変わりそうなんですよね。ありがとうの出発地点が違うのかな。
正直な話をすると、手越担だと思うようになってから「光一さんに対する感情は果たして担当という感覚なのか」とはずっと考えています。もしかしたらおさまりがいいから担当という言葉を使っているだけで、世間一般から見ればまた違う感情かもしれない。
でもどちらに対しても「アイドルになってくれてありがとう」と伝えたいことには変わりはないし、その"好き"や"感謝"の濃度に差があるわけではない。二人とも私にとっては特別です。でも多分、その特別の方向性が全く違う。
その方向性がどう違うのか、情けない話ですが、私はいまだにわかっていません。ここに関してはもしかしたら一生抱える問題かもしれないですね。

でも手越さんの担当である、と定めたときに決めたことが一つ。
自分の好きだという感情に責任を持つことです。
そして決意したことが二つ。
たった一つの行動や一言に振り回されないこと、誰かのネガティブな感情に影響をされないこと。

担当は100人いればそれこそ100通りの考え方があると思います。でも担当というからには自分の「好き」に自信を持ってほしいです。そこに間違いなんてきっと一つもないのだから。

以上、とるにたらない担当論でした。